上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
そして生活が不規則になる事や、わんずといる時間が圧倒的に減ることも。

わんずは毎日母ちゃんが家を空ける事を理解できるだろうか。
その後の生活をに、一緒にいる時間がなくなる事に不安を感じさせてしまわないか。
わんずには「誰もいない」という経験をさせた事がない、ならやっぱり・・・

考えなければならない事は山積みにある。

母ちゃんだけの気持ちで全てが狂ってしまわないだろうか・・・
反面、あの頃のように、「女だてら」にやってみたい気持ちもある。
この年齢になった今、こんな風に言ってもらえる、そしてあの頃の自分を覚えていてくれた人がいて
連絡をくれた事に。

少し時間を下さい。
そう言って帰って来たのですが、自分の納得のいくように、
そしてみんなの幸せを考えて、それを壊す事のないように・・・

じっくり考えていこうと思う母ちゃんです・・・


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
小力へ・・・

28日・長崎県T様よりフードいただきました。
ありがとうございます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
スポンサーサイト
2011.01.30 / Top↑
母ちゃん、正直かなりの迷いと不安があります。

誰かがコケれば代わりに運転するという責任、荷主を得る為の外周りや商談。
それに、ベテランの配車係との業務。

こんなに時間が経った今、それが母ちゃんにできるかという自信。
当然、こんな不景気な中、求められるものはかなり厳しいのははっきりしている。
この業種、父ちゃんの会社も、以前お世話になった仲間の会社も、かなり厳しい状況の中で頑張っていらっしゃいます。
それに母ちゃんの今のこの身体の状態。
この仕事は腰を痛めるのは職業病みたいなものであり、逆に痛めると致命傷でもあるのです。
ここまで手術を繰り返した母ちゃんにとって、途中でまた、仕事ができなくなるという不安もあります。

その点は了解し、身体は1番に優先という条件で、これ以上の不満はないだろう状態の雇用内容です。

父ちゃんと離婚して約5年、今は不自由なく生活をしている中での「楽さ」が身についてしまった事が、
多々考えてしまう原因にもなっている事も事実です。
そして最終的には母ちゃんの思う事、やりたい事を全て受け入れてくれている父ちゃんでも、
また復帰するという事を話せば、きっと反対はされると思います。
(父ちゃんも運転手、同業者になるという事は男としてのプライドだってあるんですよね・笑)
母ちゃんの仕事は女性がやれば、「女だてらに」「生意気だ気が強い」みたいなイメージがどうしても
拭い去れない。
悪く言うと女性がこの仕事をすれば「女が男を使う」というような・・・。
昔、そんな類の言葉を言われた事だってあります。
「あそこの女の配車は・・・」って感じのね・・・
あの頃は若かったし、「ならお前やってみい」ってな意地だって持てたけど、もう母ちゃん今年43だよ。

あの頃のように、また仕事ができるだろうか、この仕事でと思える勇気が湧くだろうか・・・
本当に悩みます・・・
2011.01.30 / Top↑
タイトル通り、今日は「復帰」の事である人に会い、1時間ほど前に帰宅しました。


この不景気なご時世に、「復帰しないか」というお言葉・誘いはすごく嬉しいことでした。

と言うのも、母ちゃんが以前していた仕事、運送屋での仕事に復帰する気はないかと声をかけられたんです。
その話をしに出かけていました。

仕事から離れて15年になります。
運転手という仕事、運行管理者という仕事が母ちゃんは大好きでした。
当時、若かった母ちゃんは、ただただ遊ぶお金ほしさに運転手という仕事を選びました。
実際、給料も事務仕事をするより、はるかにいいものでした。
でもそんな理由から始めた仕事でもだんだん慣れてきて、色んな事を覚え、走る距離も長くなり、
少しか仕事ができるようになってからは、その仕事が楽しくってどうしようもありませんでした。
休みもなく会社に行きたいと思った事もあったほどです。

当時女の運転手というのはめずらしい事だったのかな。
母ちゃんに仕事を教えてくれたベテラン運転手の仲間、お世話になった方達、今も本当に大切に思う。
お付き合いもしょっちゅうとは行かなくても、連絡は取れる方法を作り、おかげさまで今もいいお付き合いを
させてもらっています。

そんな中での復帰の誘いにビックリした母ちゃんなのですが、今、本当にピークに考えています。

誘ってくれた会社は以前、勤めていた会社が取引(運送業で言う用車と言います)のあった所です。
1袋(たい)25キロある荷物を200袋、手で積み下ろし日に数本走ったり、
札幌中心部にできた郵政庁舎(今は何に変わったのかな)が建った時、毎日鉄骨を運んでヘルメットを被り
現場に下ろしたり、
奥尻島の大震災の頃には仮設住宅を積んで走ったり、どの仕事も思い出があります。
「この仕事で飯を食っていこう」という力をくれた、母ちゃんに仕事を任せてくれたすばらしい上司にも恵まれました。
そして配車という仕事を任された時も、仕事をもらうという難しさやあの当時景気は良かったから、売り上げは
月に数億という金額になるほどの仕事を自由にさせてもらえた事にも本当に感謝したものでした。

15年経った今、母ちゃんに力を貸してもらえないだろうかと連絡をいただいたのですが・・・
2011.01.30 / Top↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。